産経新聞 【正論】2005年10月7日 掲載
<<佐藤総理の引退時を想起>>
この論文は、総選挙開票直後の本欄(九月十三日付)に書いたことの続き である。
どうして、七〇年安保の反体制運動を完全に制圧し、六九年の総選挙で三 百議席を得て圧勝した佐藤栄作総理が、最後には、おそらくは意中の人で あった福田赳夫氏を後継者にすることもできず、汚辱の中に引退されたのか について、もう一度考えてみたいのである。
当時トップにあった関係者は皆物故されている。佐藤総理の最後の記者会 見の時の手違いを、繰り返し悔やんでおられた楠田實首席秘書官も故人と なった。逆に、われこそは岸、佐藤の旧自民党体制を覆すのに獅子奮迅した のだと自負する方々も多いのであろうが、その一人の早坂茂三氏も昨年、故 人となられた。
私はその頃外国に赴任したので、政治家の外遊の時や、私自身の賜暇休暇 の時に政情を洩れ聞くだけであり、私自身の記憶はまとまりもないが、当時 の雰囲気を覚えている人もだんだん少なくなるので思いだしてみようと思 う。
たしか素心会(岸系統)の方だったと思うが、「もう一度選挙をして今度 大量に入った新人を払い落とさないと自民党はダメになる」と言っておられ たのを記憶している。
戦前教育を受けた世代の人々にとって、新たに出てきた戦後教育の世代に 違和感があったのであろう。そういえば、選挙後に新人たちが官邸に押しか けて、「総理におれたちの意見を聞かせろ」と言って、官房長官が防戦これ 努めていたという新聞記事も覚えている。
<<無為安で結果は望めず>>
これはどういう雰囲気だったのだろうと思う。世代の違いがあるのはしか たがない。また七〇年安保のころには、高校の生徒が先生に頭を下げて謝罪 することを迫ったり、下克上と言うか権威を無視しようという雰囲気があっ たりしたことも事実である。
しかし問題はもっと本質的なものだったように思う。代議士に当選してき た人々は皆それぞれ志を持って、国家社会のために何かを達成しようと思っ てきた人々である。その人たちに目的も与えず、無為偸安(とうあん)の一 年を過ごしたことに最大の罪があったように思う。あの時にもし、福田、田 中両氏に憲法改正の準備を命じたならば、七〇年安保を粉砕したばかりの当 時の雰囲気として新人たちは意気に感じて心を一つにしたと思う。
田中角栄という人は、当時のマスコミからは、岸、佐藤の親台、親韓路線 を打破するリベラルの旗手のようにいわれ、新しいものを求める新人たちの 欲求を満たす役割を果たしたが、本来は保守的な人であり、佐藤総理が改憲 を進めたならば持ち前の馬力でそれを推進したと思う。
それならば、その成否は別にしてその後の自民党はしっかりした保守政党 に成長していたと思う。やはり政治の要諦は古来言われているように、人心 をして倦(う)ましめないことにあると思う。
私は今回の自民党圧倒的多数が長く続くとは思わない。今回の選挙の勝利 は、各選挙区における自民党の支持基盤を強化したというものではない。例 えて言えば、あるテレビの番組がその時のドラマチックな効果によって、そ の視聴率を一挙に上げたようなものであると思う。
したがって次の選挙、今予想できるものとしては次の参議院選挙で、同じ ような自民党支持の旋風が起こるとは期待できない。まして無為偸安に過ご して同じ結果が期待できるわけがない。大きな理念を示さずに後継者選びが 課題だなどといえば、それは、単に不毛な党内抗争を触発させるだけなのは 佐藤政権の末期を見れば明らかである。
<<人心まとめる理念は何か>>
今大事なことは、志を持って国政に参加してきた八十三人に上るという新 人の人たちの心を倦ましめないことである。
何が皆の心を一つにさせる理念たりうるだろうか。改革志向といっても、 小さな政府、年金改革など、スローガンは良いとしても、行政技術的なこと が多く、新人達は政府の政策を支持する投票機械の役割に過ぎなくなり、そ の意欲を満足させられない。
自民党員が結束して国民に訴え、実現する目標としては、やはり、集団的 自衛権の誤解釈の修正と憲法改正しかないであろう。そして、もう一つ党が 結束して国民の協力を求める案件としては消費税値上げがある。
このままでは党内の人心が倦んで、派閥抗争に走る惧(おそ)れがある。 そうなる前に、こうした目標を自民党の大方針として打ち出すことが肝要で あると思う。